ニュース

【コラム】「言葉で伝えるフットサル/杉岡達也」

new_エスペレーザ

「言葉で伝えるフットサル/杉岡達也(東京都チャレンジEspeleza Futsal Club監督)」
目が覚めると、そこは見慣れない部屋の中でした。
やたら鳴り響く電子音。
喉に何かが刺さっている。
手には手錠のようなものが付いている。
両親が自分の名前を叫んでいる。
身体が動かない、苦しい。
そんな事を思っているうちに、目の前が白くなり、真っ暗になる。
今思うと、これが生死を彷徨っていた時間なのかもしれません。

初めまして。私は杉岡達也と申します。
私のことをご存知ない方が大多数だと思いますので、まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。

杉岡達也
1982年10月16日生まれ
東京都板橋区出身

【選手歴】
2006~2007シーズン Espeleza Futsal Club

【指導歴】
2010~2014シーズン C’s f.c.
2013~2015シーズン Espeleza Futsal Club

私は現在、東京都フットサルリーグに参戦しているエスペレーザフットサルクラブの監督を務めています。
ご覧いただきました通り、私は選手としても、指導者としても、大した経歴はありません。
ではそんな私が、なぜスマイルフットサル代表の竹田さんからこのコラム連載のお話ををいただいたのか。
今回はその理由が伝わるような内容をお届けできればと思います。

2008年12月13日、私は高さ30数メートルあるビルの屋上から地上に落下し、奇跡的に一命を取り留めました。
落下先にはちょうど原付バイクが停まっており、そのシートの上に左半身から落ちたそうです。
そこにバイクがなかったら・・・と考えるとゾッとしますね。
そんな私が意識(記憶)を取り戻したのは、2009年に入ってからでした。

意識が戻って間もない頃は、自分に何が起こったのか、どんな状態なのか、すぐには理解できませんでした。
「来月には退院できるかな?」など、気安く両親へ筆談していたそうです。
その時はまだ、理解すればするほど、辛い現実が待っているとも知らずに・・・

この体験談を聞いて、驚かれる方、大笑いする方、怪訝な顔をする方、御利益がありそうと触ってくる方など、リアクションは様々です。
私や私の家族にとってこの体験は2度と味わいたくないことで、とても辛い記憶として心に深く刻まれています。
それでも、この体験談を書いた理由としては、私のバックグラウンドを知っていただかないと、私の考え方や大切にしていることが、このコラムを読んでいただいている皆さんに伝わりにくいと考えているからです。

私はこの事故の影響で、もう2度と満足にフットサルをプレーすることができません。
多くの監督が選手に対してお手本を示せますが、私はそれが叶いません。
『言葉』でしか、私は選手へフットサルを伝えられません。

ただ、その事実を不便に感じることもありますが、それほど嫌でもありません。
何も持っていない私にとってこの身体は監督としての武器であり、財産です。
そして、私にとって自分のチームの選手は宝物のような存在です。
自分では叶えられない夢を、ピッチ上でたくさん叶えてくれます。
もちろん、選手は人で、チームは生き物なので、上手くいかないことも山ほどありますがそれでも。
事故により失ったものよりも、たくさん大切なものを与えられた気がしています。

「自分はこんなに大変な想いをしたけど頑張っているんだ」なんてことが言いたい訳じゃない。
あなたが今、仲間と共にフットサルをできていることがどれだけ幸せなことか。
あなたが今だからできることへ力を注ぐことに、どれだけ素晴らしい価値があるのか。
失って、初めて気付いてからでは、遅いこともある。

大した経歴もない、技術も知識もない、ましてや人格者でもない私ですが、今後もこの『フットサル』というスポーツの魅力を、戦術を、尊さを、自分なりに身近な方々へ届けられればと思っています。

こんな笑いのない、重たい内容が『スマイルフットサル』に掲載されてよいのでしょうか?(笑)
しかし、私の体験談や思考を通じて、少しでも、皆さんが自分自身やフットサルを見つめ直す良いきっかけになればと、いつかの笑顔に出逢うための第一歩になればと思い、書かせていただきました。
竹田さん、このようなありがたいお話をいただき、本当にありがとうございました。

最後に、これまでこの過去を「バイク事故」とお伝えしていた一部の方々へ、事実を正確にお伝えできておらず、申し訳ありませんでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次回もぜひ、よろしくお願いいたします。