ニュース

【コラム】「フットサルが消えた日/杉岡達也」

new_エスペレーザ

「フットサルが消えた日/杉岡達也(東京都チャレンジEspeleza Futsal Club監督)」 

先月のコラムが掲載され、様々なところから「コラムを見たよ」というお声をお掛けいただきました。
お読みいただいた方々、ありがとうございます。

私がこのコラムを連載する理由としては、私の経験や価値観をお伝えすることで、スマイルさんやフットサルに関わる方々に、何か少しでもプラスに働くことがあればという想いから。
様々な感想を人それぞれお持ちだとは思いますが、何か届くものがあるのであれば、それはとても嬉しいことです。

折角の連載企画なので、「コラム」ではないかもしれませんが、私の事故後からの経緯を追いながら、私にとっての『フットサル』をお伝えしていこうと思います。

【2009年1月~】

前回お伝えしました通り、私はビルの屋上から落下し、奇跡的に一命を取り留めました。
しかし、助かったとはいえ、当然の如く、身体には大きなダメージがありました。
左の肩甲骨を開放粉砕骨折、左の上腕骨と大腿骨を骨折して創外固定、他にも肋骨が数本、顔面、指など、合計で十数か所を骨折。
また肺が潰れ、喉元から気管挿管していたため、声が出ず、筆談しかできない状態。
それでも、高さ30数メートルから落下したにも関わらず、脳や脊髄に全く損傷がなく、後遺症としては左肩が上がりにくいことぐらいであったことは、とにかく幸運でしかありませんでした。

救命病棟で過ごしていたこの時期は、何も叶わない毎日を過ごしていた記憶があります。

喋れない。
動けない。
飲食できない。
頭も身体も洗えない。
ベッドで排泄しなければならない。
携帯が持ち込めない。
家族以外は面会に来れない。

ただただ、時間が流れていく。
世界から自分だけが取り残されているような感覚。

しかし、何も叶わないことが当たり前の中で生活していると、それが普通になり、不自由を感じることは特にありませんでした。

それどころか、少しずつ回復していく中で、少しずつ自分の可能性が広がっていく成功体験を積み重ねられていることを実感しました。

管が抜かれ、喋れるようになったこと。
鼻から食事を流し込めるようになったこと。
ガムなら噛めるようになったこと。
氷なら食べられるようになったこと。
口で食事が取れたこと。
上げられるトライボールの数が増えていったこと。
腕と腿からピンを抜けたこと。
身体を起こせるようになったこと。
車椅子に乗れるようになったこと。

この時の私にとっては、一緒になって回復を喜んでくれる両親や看護師の方々の存在は、かけがえのないものでした。
大きな変化には自分でもすぐに気付けるが、ちょっとした変化にはなかなか気付けない。
いつも注意深く見てくれているからこそ、気付ける成長を、いつも私に伝えてくれていました。

状況は全く異なりますが、指導者として私がやるべき事を、ここで学んでいたのかもしれません。
ちょっとした成長に気が付くこと、成長を喜ぶこと、気付いた成長を本人に伝えること。
両親や、看護師の方々が、そうやって自分のモチベーションを上げてくれていたように。
いつまで経ってもなかなか上手く体現できませんが、指導者として常に考えていることの一つです。

こうして、1ヶ月半を過ごした救命病棟からようやく一般病棟へ移り、本格的なリハビリ生活が始まろうとしていました。

【2009年2月~】

車椅子での生活が可能になったことで、リハビリを専門に行う病院への転院が決まりました。
そこは都内から少し離れた、漫画「リアル」で登場する病院のモデルとなったことでも有名なリハビリ専門の病院でした。

午前は上がらない左手を使う作業療法、午後は硬直した左足を曲げる理学療法。
空き時間はジムでトレーニングが可能。
少しでも回復を早めるために、自分のベッド周りもトレーニング可能な環境を作りました。
20キロ弱も落ちていた体重も徐々に増え、手術をした左足への加重が可能となれば、松葉杖での退院が可能、というゴールも見えてきました。

しかし、順調だった新しい病院での生活の中、悲しい瞬間は突然訪れました。
ある日、いつものように立とうとしたところ、激痛に見舞われ、立つことができませんでした。
これまでずっと歩くトレーニングをしていた右足首が、物凄い腫れ方をしていることに気付きました。
そしてすぐにレントゲンを撮り、診断していただいたところ

結果は「足関節骨折」

すでに骨折は治っているが、関節の隙間がない状態。
保存療法が最善、痛みを無くしたいなら関節が無くなるが固定術も可能。
もっと早く気付いていたら、もう少し違ったかもしれない。

前の病院では「打撲」と言われたから、痛くても右足でリハビリを続けてきたんだけど?
え?ずっと骨折をしていた足で歩いてたの?
なんで?ちゃんと診てくれてたらどうなってた?

そして、頭の中の整理が追い付かないまま、冷たく鋭利な言葉が突き刺さった。

「もう2度とフットサルはできないでしょう」

おそらく、人生で一番泣いた日。
もう競技フットサルを引退していたけれど、「蹴らない」ことと、「蹴れない」ことは、全く違うものでした。
この日を境に、入院生活から『フットサル』が無くなりました。

しかし今思えば、この日が私にとって、とても大きなターニングポイントでした。

『フットサル』に絶望した私が、『フットサル』に救われる。

寒い季節を越え、蕾が芽吹き始めるのは、もう少し先の話・・・

【あとがき】

搬送された病院で、救命救急の看護師の方々がフットサルチームを結成されている話を伺っていました。
チーム名は医療器具名でしたね。
あれから長い月日が経っているので、今もチームが続いているかは分かりませんが、ここにも『フットサル』が存在していることをとても嬉しく感じていました。
一番大変な時期を、抜群のチームワークでサポートしていただき、ありがとうございました。
この場を借りて、お礼を申し上げます。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。
来月以降も、こうして少しずつ過去を振り返りながら、フットサルに対する想いや指導者として大切にしていることなどをお伝えしていこうと思っています。
また次回もぜひ、よろしくお願いします。
ーーーーーーーーーーーーーーー

☆執筆者募集!!☆
フットサルへの熱いがあり、ソヒーゾコラムを執筆希望される方は是非御連絡お待ちしております!!
yoyakusmile@gmail.comまで御連絡下さい!